訪日リピーターが多いことで知られる香港は、中国の一部でありながら中国本土とは違う扱いを受けている地域です。2019年から継続して行われている民主化のデモは、日本国内のメディアでもしばしば取り上げられています。
香港人のなかには、パスポートを2種類持っている人がいます。それは、現在中国領である香港が以前はイギリス領であったという歴史が関係しています。
今回は香港人がパスポートを2種類持っている理由や、香港人のイギリス国籍取得に関する議論について紹介します。
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香港の市民は2種類のパスポートを保有できる
香港は中国の南部に位置する地域で、現在は中国の特別行政区となっており、香港人に対しても中国政府の国籍法が適用されます。しかし中国人と異なる点は、2種類のパスポートを保有できることです。
ひとつは中華人民共和国香港特別行政区(SAR)が発行する青色のパスポートで、中国政府が発行するパスポートと一緒に保有することはできません。しかし、この香港特別行政区パスポートのほうがパスポートパワーと信用度は強く160の国と地域からビザ免除などの待遇を受けられるため、中国政府のパスポートを保有できなくてもあまり支障はないようです。
もうひとつは、イギリス政府が発行する赤色のイギリス海外市民、BNO(British National Overseas)パスポートです。香港は1997年に中国に返還される以前はイギリス領でした。返還前に香港に居住し、BNOパスポートを申請した香港人は、更新手続きを行うことにより現在でもそのパスポートを保持できます。
BNOパスポートとは
BNOパスポートはイギリスが香港を統治していた時代の名残ともいえるパスポートで、イギリス政府が香港を中国に返還する以前に香港人を対象に発給したものです。
BNOパスポートを持っている香港人は「英国海外市民(BNO)」として扱われるため、ビザを取得せずにイギリスへ入国できたり、イギリス国民とほぼ同等の基準で他国のビザが免除されたりします。
しかし、実際にイギリス本国に居住したり労働したりすることはできず、この点が一般のイギリス人のパスポートと異なります。
現在ではBNOパスポート自体は発給されていないため、両親がBNOパスポート保有者である場合でも、その子どもの誕生日が1997年7月1日以降ならば取得できません。
BNOとSARの2つのパスポートを持っている香港人が多い
中国政府はBNOパスポートを認めていないため、BNOパスポートを持つ香港人が中国へ入境するときには「回郷証」という許可証が別に必要となります。
このような不便さから、BNOパスポートだけでなくSARパスポートの両方を保有する香港人が多く存在します。
日本の場合、BNOパスポートとSARパスポート、どちらのパスポート保有者に対しても90日間のビザなし滞在を認めており、BNOパスポートの優位性は徐々に薄れつつあります。
BNOパスポートを発行するに至った経緯
イギリス政府がBNOパスポートを香港人に発給するようになったのには歴史的な背景が存在します。
もともとイギリス領であった香港を中国に返還するにあたり、香港人の返還前までに有していた権利をどのように保障していくかが問題でした。
1842年:香港がイギリス領に
香港がイギリス領になったきっかけは、当時の清朝がイギリスとのアヘン戦争に負け、1842年の終結の際に結ばれた南京条約です。そこで清朝は香港島をイギリスに割譲することになりました。
その後、イギリスとの間で勃発したアロー戦争の講和条約で、香港島の対岸にある九龍半島南端も割譲されました。1898年にはイギリスが新界と呼ばれる九竜半島北部の地域を、99年後の1997年に返還すると約束して租借しました。
これら清朝時代にイギリスへ割譲・租借された地域の返還については、1980年代に中国とイギリスの間で交渉が始まりました。
1997年:香港が中国に返還される
1982年にイギリスのサッチャー首相が訪中し、返還交渉が開始されました。当初イギリスは「返還は新界のみ」という姿勢を示していましたが、中国政府は香港島と九龍半島を含めた全面的な返還に応じない場合は武力行使も辞さないという立場でした。
1984年にイギリス政府と中国政府は香港島と新界を含む九龍半島の同時返還で合意し、「英中共同声明」を発表しました。最終的には、1997年7月1日にイギリス政府が香港島とその周辺の領域一帯の主権を中国に返還し、香港は中国の特別行政区になりました。
BNOパスポート保有者は340万人
香港の主権が中国に復帰してからは「一国二制度」の下で香港は統治されてきました。これにより、香港人はイギリス海外市民ではなくなり、中国国民として扱われるようになりました。
しかし在香港英国総領事館によると、2017年時点でも約340万人の香港市民がイギリス政府が発給したBNOパスポートを保有しているということです。
ただ、その多くは更新されなかったことによりすでに失効しているといいます。
BNOパスポートにまつわる近年の動き
香港での中国による「一国二制度」が形骸化しつつあるとの見方も存在する中で、昨年から続く大規模なデモをきっかけにイギリス国内ではBNOパスポートを持つ香港人に関して多くの議論がなされています。
2020年6月17日には香港での国家安全法の施行を目指す中国政府に対して、G7の外相が導入再考を求める共同声明を発表するなど事態は変化し続けています。
かつて香港を統治していたイギリス政府も現在の香港情勢を注視しており、状況によってはBNOパスポートの持つ権利の強化が進む可能性があります。
BNOパスポートを持つ香港人を「イギリス人」にすべきとの議論
2019年8月にイギリス下院の外交委員会のトム・トゥーゲンハット委員長は、現在BNOパスポートを持つ香港人にイギリス国籍を付与しようという議論を提起しました。
BNOパスポートを保有する香港人約340万人がイギリス国籍を取得することになれば、約740万人いる香港の人口の半分がイギリス国民になります。
大規模デモがイギリスでの議論のきっかけに
このような議論が起きたのは、香港で続く大規模デモとそれに対する中国政府の強硬姿勢にあります。
外交委員会のトム・トゥーゲンハット委員長は、武装警察が香港のデモ隊を鎮圧することを念頭にした訓練を実施するなど、香港情勢が緊張の度合いを強めていることに言及していました。
中国の影響力増大を警戒するイギリスとしては、かつての植民地である香港とそこにいる香港人に対してイギリスが支援していることを示すことで、中国側をけん制する狙いがあるとみられます。
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イギリス国籍取得の基準を満たす範囲とは?
現実問題として、香港での中国政府の統制が強まり、一国二制度という返還の条件は形骸化しつつあります。
この状況下で前述の提案を実現することは、過去に香港を統治し中国へ返還したイギリスの責任ともいえますが、一方でアジアでの中国に対する影響力を確保したいイギリスの思惑にも一致します。
しかし、この提案を実現するのは簡単ではありません。約740万人いるとされる香港市民のうち、どれだけの香港人がイギリス国籍取得の基準を満たしているのかはわからず、そもそもどの程度の香港人がイギリス国籍を取得したいと考えているのかは不明です。
前述の通り、BNOパスポート所有者の中には過去に更新手続きをしなかった人も多いとされています。
現時点で有効なBNOパスポートを持っている香港人に限るのか、それとも失効しているパスポートの保有者も含めるのか、あるいは全く新しい基準を設けるのかなど、検討するべきことは多いのが事実です。
仮に実現にこぎつけても、約740万人いる香港人すべてを調査し、取得の意思を確認の上手続きを行うとなると、膨大なマンパワーとコストがかかるのは明白です。
そのような状況でいったいどの程度の香港人がイギリス国籍を取得し、それがどの程度中国へのけん制となるかは未知数といえます。
イギリス国籍付与の議論とデモの動向に今後も注目
香港人の中には2種類のパスポートを保有する人がいますが、その背景には香港がイギリス領から中国領へ変化した歴史が関係しています。過去には香港人の約半数がBNOパスポートを所有しており、昨年から続く香港の大規模デモをきっかけに再び注目を集めています。
香港人にとってBNOパスポートは中国政府の圧力に対抗できる手段であり、イギリス政府から見てもアジアで拡大する中国の影響力を抑える政治的な手段としての側面も持っています。
香港でのデモ活動と中国政府の力関係には、BNOパスポートを通じたイギリスの影響力も今後関係してくる可能性もあるとみられ、その動向が注目されます。
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