日本の端午の節句も中国から取り入れられた文化で、日本では現行の新暦における5月5日を節句の日としていますが、中国では旧暦である太陰暦の5月5日を端午節としています。
元々、5月のはじめにくる午の日という意味で、その名を付けられた端午節ですが、「午」と「五」の読みが同じであることから5月5日に祝われるようになりました。
端午節の由来は、紀元前4世紀頃、現在の中国の位置に存在していた楚の国の政治家であった屈原の供養祭であり、屈原が陰謀により失脚して入水自殺を図った日が5月5日であったとされています。
中国の端午節では、ドラゴンボートと呼ばれる手漕ぎ舟を使用したドラゴンボートレースやちまき食、厄除けなどをする慣習が根付いており、今でも屈原の供養祭という意味合いが強く残っています。
なお、日本の端午の節句が「男の子の日」として定着しているのは、日本において武家社会の時代が長く続いたことが深く関係しており、中国における端午説とは大きく事情が異なります。